2009年3月25日水曜日

Guangzhou 37

怒りを抑えるということは難しい。組織において、公平性を保つということが出来ないのは、人間が人間をマネジメントする以上は当然である。誰かの行為に対して不公平だと感じると、同じような不公平を感じさせるような行動をしてしまうのが人間である。その連鎖を止めるためには勇気がいるし、失敗すれば骨折り損で疲弊するだけである。自ら損をすべきではないと身構えるのが通常の組織人であり、余計な事をするだけの人間として評価されてしまうこともある。大企業は特にそのような状況に陥りがちで、権限や予算を与えないにも関わらず責任だけを負わせるという風土が、将来のマネジメント候補を擦り減らせる。意思決定の段階が次から次へと積み重なることで、余計な判断が介入し、意味のない時間が費やされる。生産性の低さは、組織を改革することで十分に対応可能な課題であるように思うが、それが出来ないのが組織のしがらみというものなのである。
思い入れのあることを切り捨てることが出来ないというのは、甘えである可能性も多分にあり、ビジネスという環境の中ではそれが命取りであるかも知れない。1つの方向を向かせるのは難しい。それこそリーダーシップである。管理するだけではなく、導かなければならないというのは、才能もあるように思えるが、組織内でそのような試みを継続的に生み出す姿勢というものが必要である。そうでなければただ運が良いだけの会社であるかも知れない。監査法人のように専門家の集団である場合には、管理に主眼を置きがちであるが、実際にはリーダシップというものも必要である。営利企業として利潤を追求するということだけでなく、組織として強みを発揮していくためには、ある程度の投資が必要となる。時間と金だけではなく、人を投資する必要があるのだから、うまくモチベーションをコントロールするような仕組みが無ければ難しい。
専門家の集団であるが故、評価の対象もハードスキルに目が向きがちであるが、実際にはチームで行動する上ではソフトスキルが非常に重要なのである。その両方がある人の下では働きやすいと感じる機会は多いだろうし、それが組織に人が残るというきっかけになることだってある。人間に蓄積された暗黙知というものは、引き継がれることは殆どない。猛烈な事務処理能力を要求する現代の会計監査においては、そのような暗黙知というものを共有することがリアライゼーションの改善には必須である。どのようにして評価されるのかという点が、主観的であるのは仕方がないことではある。主観的に悪い評価をつけられてしまうのは、ソフトスキルの欠如によるものであり、コミュニケーション能力が低いと判断されてしまう訳である。こういったことは入社して初めて気付くことが多いし、それにそもそも気付かないまま組織人としての一生を終えてしまうこともある。こういった情報は、本を読んだりいい先輩の下で働くということをしない限り回って来ない。
ふとしたきっかけで何かを始めようとしても、しがらみというものは非常に大事になってしまう。本来それに価値を置いていなかったとしても、組織内外での利害調整に割かれる時間というものは、人心を擦り減らせる。打たれ弱い現代の若者は、それが原因で病んでしまうのかも知れない。自分が正しいと思ったことが、必ずしも正しい訳ではない。しかし正しいと理解してもらう努力が足らなかっただけ、という場合もある。新入社員にとっては、それは未知の世界であることは確かである。真っ直ぐなだけでは、ただの面倒くさい人間だと思われてしまうし、指示を待って動かなければ何もしない人間だと思われて仕事が回って来なくなる。仕事の分担が減れば結果を出す機会というものは無くなる訳であり、それが負のスパイラルに陥ることは容易に想像出来る。監査というただでさえ飽きやすい仕事を、そのように評価されず続けていけば、必ずいつか無理が来てしまう。専門家として働く気概はもちろんあるのだろうが、それ以外のことをやりたいと感じるのは寧ろ自然であると言える。

Guangzhou 36

広州の街並みは、太陽の光が差さないせいか、色鮮やかという訳にはいかない。組織人として生きるために、割り切れないことをどう取り扱うのか。この処理能力というのは、全体のうち少ない割合かも知れないが、結果として重要であると認識する人も多い。個々人の利害というものは、一致しないのが通常であり、何かしらの折り合いをつけていくことになるはずだが、そのような意識を持って問題に向かい合う人間も少ない。自分が正しいと思いながら生きなければ、プライドのようなものを守ることは出来ないためである。余裕を失った時には、人は都合の良いことしか聞かなくなる。しかしそのような状況下では、双方に何故関係が悪化しているのかと言ったことを理解しようとすることはない。
褒めて伸びるタイプは打たれ弱い人が多いのだろうか。自己防衛に走る様をよく見かけるが、結果として自分の首を絞めることになる場合がある。それが結果として、肝心な時に使えない人ということになってしまい、最終的には文句しか言わない人間であるとされてしまう。そうなれば組織人としては死を意味する。優先順位をつけるということは難しい。人間が発信する以上は、ニーズというものは常に変化していると考えるべきであるし、関係のない要因によって人の評価は決まったりするからである。他人をアシストするのは難しい。これは自分に主体性をおくからであり、ニーズを適切にくみ取っていないことになるのだろう。良く考えれば当たり前のことだが、誰もそのようなことは教えてくれない。知らぬ間に評価が下がったりするように感じる。多くの情報が世の中には溢れているが、本当に使える情報というものには金を払うか、あるいはその他のものを犠牲にするなどしなければ手に入らない。
監査小六法が名前を変え、会計監査六法なる巨大な本に化した。会計士の仕事も細分化が進み、一個体の会計士では意思決定が難しくなりつつある。将来を予測するようなビジネスに関連する知識というものは、監査法人内ではノウハウが蓄積していない。コンサルティングを独立性の観点から失ったというものは、監査人の能力の低下にも影響がない訳ではない。監査をよりルーティン化することで、収益の改善というものは容易である。売上を拡大して人員のコストを吸収したつもりになっているマネジメントに、リアライゼーションの改善という概念はあまり必要がないのだろう。組織が動くためには多くの意思決定が必要である。ただその意思決定も、ほんの些細なオヤジの機嫌によって変化してしまう訳であるから、マネジメントには人格が求められる。そのマネジメントの感情の機微を察知できるかどうかが、次のマネジメントになれるかどうかを決めてしまうことにも繋がる訳である。オヤジの習慣をなめてはいけない。そこに様々な情報が見え隠れしているのである。