
広州の街並みは、太陽の光が差さないせいか、色鮮やかという訳にはいかない。組織人として生きるために、割り切れないことをどう取り扱うのか。この処理能力というのは、全体のうち少ない割合かも知れないが、結果として重要であると認識する人も多い。個々人の利害というものは、一致しないのが通常であり、何かしらの折り合いをつけていくことになるはずだが、そのような意識を持って問題に向かい合う人間も少ない。自分が正しいと思いながら生きなければ、プライドのようなものを守ることは出来ないためである。余裕を失った時には、人は都合の良いことしか聞かなくなる。しかしそのような状況下では、双方に何故関係が悪化しているのかと言ったことを理解しようとすることはない。

褒めて伸びるタイプは打たれ弱い人が多いのだろうか。自己防衛に走る様をよく見かけるが、結果として自分の首を絞めることになる場合がある。それが結果として、肝心な時に使えない人ということになってしまい、最終的には文句しか言わない人間であるとされてしまう。そうなれば組織人としては死を意味する。優先順位をつけるということは難しい。人間が発信する以上は、ニーズというものは常に変化していると考えるべきであるし、関係のない要因によって人の評価は決まったりするからである。他人をアシストするのは難しい。これは自分に主体性をおくからであり、ニーズを適切にくみ取っていないことになるのだろう。良く考えれば当たり前のことだが、誰もそのようなことは教えてくれない。知らぬ間に評価が下がったりするように感じる。多くの情報が世の中には溢れているが、本当に使える情報というものには金を払うか、あるいはその他のものを犠牲にするなどしなければ手に入らない。

監査小六法が名前を変え、会計監査六法なる巨大な本に化した。会計士の仕事も細分化が進み、一個体の会計士では意思決定が難しくなりつつある。将来を予測するようなビジネスに関連する知識というものは、監査法人内ではノウハウが蓄積していない。コンサルティングを独立性の観点から失ったというものは、監査人の能力の低下にも影響がない訳ではない。監査をよりルーティン化することで、収益の改善というものは容易である。売上を拡大して人員のコストを吸収したつもりになっているマネジメントに、リアライゼーションの改善という概念はあまり必要がないのだろう。組織が動くためには多くの意思決定が必要である。ただその意思決定も、ほんの些細なオヤジの機嫌によって変化してしまう訳であるから、マネジメントには人格が求められる。そのマネジメントの感情の機微を察知できるかどうかが、次のマネジメントになれるかどうかを決めてしまうことにも繋がる訳である。オヤジの習慣をなめてはいけない。そこに様々な情報が見え隠れしているのである。

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