2008年11月25日火曜日

Prime Minister 1

秋葉原の駅が物々しい。何が起きたのかと思って見てみると、この街が大好きな総理大臣が来るのだと言う。この民衆の中に支持者はどれぐらいいるのだろうか。私は単なる野次馬なので、1分の0で、支持者がいる確率は0%ということにしておく。何だか少しの間演説をする予定とのことで、なかなか政治に興味を注ぐことが出来ない私だが、せっかくの機会なので話を聞いてみることにしたのだった。
秋葉原の街はいつの間にか近代的になりつつある。JR秋葉原駅、東京メトロ日比谷線秋葉原駅、東京メトロ銀座線末広町駅を中心として、近代的なガラス張りのビルも幾つか建てられている。駅の近くには昭和通りが通り交通量も非常に多い。平日と土日祝はまた違う雰囲気があり、後者はとにかく外国人観光客と若者という感じである。歩くのが大変なほどに道が混む。つい最近この付近で殺人事件があったということは、多くの人の心に残っているだろう。












Akabane 6

電車を撮影する人たち(トリテツ)の気持ちも分からないでは無い。駅という建築物や電車の車両は不思議なもので写真に収めると絵になる。いつも旅行先では、電車に乗った時に駅やその車両を撮影するようにしているが、あまり日常ではやらない。こうやって撮影することで、やはり日常が少し非日常になる。日常とは何か。









さて、次の住まいへ向けて走る京浜東北線の到着である。田端から双子の兄弟の山手線と合流。私がいつも心がけているのは、先に来る方には乗らないということ。統計をとっている訳ではないので不確かだが、多くの人は私のように田端から品川まで京浜東北線と山手線を区別しないで乗るはずで(厳密に言うと品川だけ両者が隣り合わない)、それに両者は似たようなタイミングでホームに入ってくることが多いから、先に来ている電車が混むと言うことである。実際には大差は無いが、早く着くことよりも、空いていて本がゆったり読めることのほうが大事な私にとっては、混んでいる電車に飛び乗るなど言語道断である。京浜東北線は昼の間、快速運転で田端から上野、秋葉原、東京、浜松町、品川にしか止まらない。こんな今では当たり前のことも、1つ1つ覚えて行く。1つの場所になれるのに2年は十分である。

Akabane 5

赤羽駅の写真を撮る機会なんて二度と無いだろう。何も珍しい場所でも無いから、外国人観光客も殆んど訪れない。従って、この写真は希少なものであるということになる。機会というのは大事である。こうやって写真を撮ろうと思うきっかけは、引越しによって赤羽を離れることになったということであるが、そうでなければ写真を撮ることなんて無かった訳である。一眼レフをぶら下げて駅を通ることがあっても、この駅は撮影対象にはならなかった。それぐらい日常と言うのは儚いものである。過ぎ去りし日々を撮影することは出来ない。
JR赤羽駅は、京浜東北線、高崎線、宇都宮線、埼京線、湘南新宿ラインと、都内主要駅へのアクセスは抜群である。新宿にも東京にも近い。あるいは埼玉の中心都市、さいたまや大宮、あるいは浦和とも近い。このような立地の場所はなかなか無い。家賃が抜群に安いという訳でもないし、夜中タクシーで職場から帰ると、結構な金額になるがそれほど悪い場所ではないと言える。埼京線は混むし頻繁に止まるし、なかなか信用ならない路線だが、新聞くらいなら読める。駅周辺には食事をする場所もあるし、色んなものが集まっているから便利と言えば便利だ。ただ、ビジネスマンが満足できるような本屋は無いのはネックだと言えようか。

当分赤羽駅を利用することも無いだろう。そう思うと少し淋しい気持ちになるのは、一体人間のどんな仕組みであろうか。昔は引越しした後は淋しくて仕方ない時もあったが、今ではすぐに順応してしまう。人類が生き残るために備えた順応力というものは、なかなか生きる上で役に立っている訳である。私はそんなに記憶力が良い方ではないから、日常を書き留めておいたりすることは、結構将来の自分に感謝されると思っている。だから書くが、大体が内容が無いものであると言う矛盾もある。それでも書くのは、言葉が溢れてくる時が人間にはあり、私もその例外ではないということである。











Akabane 4

旧自宅を引き渡して、赤羽駅に向かう。引越しも何だか写真に残しておくと、1つの物語りである。毎日通勤に使った道を撮影する。赤羽という街であまり暮らした実感もない。使ったと言ったらコンビニぐらいのものだろう。後は居酒屋のような店に2回程度行ったぐらいか。折角住んでいるのに、という意見もあろうが、そういった時間に活動できるチャンスがなかなか無かったということなのだろう。
最近舗装していた道。必要な道路は必要と言うが、この道はそんなに凸凹だっただろうかと、いつも春先の工事を見るたびに疑問に思う。一定の雇用を確保することは、確かに必要な気がしなくも無いが、もっと回すべきところも有るのではないかという気もする。道が凸凹で困るのは高速とか、国道とか、大きい道ではないか。こんな住宅地の道を舗装して喜ぶのは業者と近所のおばさんぐらいなもんだろう。
ここの道端にはたまに黒猫が座っていることがあった。昔飼っていた猫が黒猫だったから、何となく愛着があり、黒ベエなどと心の中で読んでいた。写真を撮るチャンスが無かったのが残念ではある。


まるますや、といううなぎの店が毎朝毎朝店頭で鯉かなにかをさばいている。この店は不思議なことに朝から満席である。どんな仕事をしている人達なんだろうか。仕事もしていない定年退職者だけという訳でもない。毎日何故朝から酒を飲んでいるんだろう、なんて不思議に思いながら通勤した。赤羽は飲み屋だらけだけれど、それなりに繁盛しているように見える。シャッターが閉まっているところもあったり、回転の早い場所も幾つかあったが、それなりの活気をいつも維持している。もちろん今後はどうなるか分からない。
駅前には交番とバス停。バスに乗ることは1回も無かった。最近そういえばバスに乗ってない。旅行に行ったときにたまに乗るぐらいで、都内でバスに乗ることも無い。それぐらい鉄道網が発達しているということなのだろう。駅が無くても少し歩けばたどり着ける場所が殆んどである。先人が築いたインフラか。




Akabane 3

斜め向かいに建設中のこのマンションが建てば、私が賃貸で住んでいたマンションも家賃を下げることになるかも知れない。不動産の価格に影響を与える要因は数知れない。やはりValuationというものについては限界がある。慣行として定着することで、いつの間にか客観性があると思われていくのだろうが、そこには歪みがあり、その歪みを狙って利益を獲得しようとする人もいるはずである。しかし北本通りに面したこのマンションは、排気ガスが心配だが、ベランダに洗濯物を干すことは想定していないのだろうか。














Akabane 2

引越しをする時には、原状回復義務がどうのこうのと言って、敷金の返還について揉めたりする。最近ではトラブルが絶えないせいか、賃貸住宅トラブル防止ガイドなんていうものまで出ていて、こんなの知らないよ、ということまで書いてある。一般市民は自分の身を守るために猛烈な知識を要求されている。特に不動産のような衣食住という重要な柱の1つに関しては、知識があるに越したことは無い。更に言えば、不動産業界はやはり不透明な業界で、消費者を舐めている業界だからである。こんなこと言えば真面目にやっている人に怒られそうだが、敢えて苦言を呈せばそういう人は業界を浄化していく義務を負っている訳である。
どこにも傷を付けていないということを、後で揉めた時のために撮影しておく。大体200枚程度になった。裁判がどうなっているのかという知識を、一般人は持たないのが普通だろうから、写真の枚数は多いに越したことは無い。デジタルカメラの普及というものは、本当に素晴らしいことであると思う。残さなくて良いものが残ることもあるかも知れないが、一瞬にして消すことも可能である。こういった撮ったり消したりという操作が、現代の刹那的な流行を生み出しているのだろうか。デジカメの売れゆきも不調である。当たり前だが、特にデジタル一眼レフなんていうものは、家計にとって見れば余分だからである。円高で輸出も当然不調。株価は見るも無残、というところか。












Akabane 1

東京都北区赤羽。JR赤羽駅から徒歩7分。東京メトロ南北線赤羽岩淵駅から徒歩1分。2年過ごした赤羽から引越し。住めば都というが、ちょっと都会から遠かった。しかし便利な街であることは確か。イメージがあまり良くないせいでアンダーバリューされているのだろう。駅の近くにイトーヨーカドーもあれば、ダイエーもSEIYUもある。何か困ることがあるわけでもない。しかし時期が来れば人は入れ替わる。更新料が1.5ヶ月とか理解できない契約書にサインしたことは、今思うと需要と供給なのかも知れないと、経済学の教科書を引っ張り出して来る。そうか経済ってやっぱり役に立たないってことですね、フリードマン先生。引越しは人生で何度目か。6度目か7度目である。数えるのが面倒なので、この赤羽が社会人になってからは2度目の住居である。
引越しをすることの効用について。新しい場所は、刺激を与えてくれる。人間も動物の1つの種類として、ストレスの無い生活には耐えられないはずである。これは見えない効用。引越しには不動産を探すための時間と金がかかる。不動産業者が頭が悪すぎるからである。不動産を探したいだけなのに、何故一方通行の道に突っ込んで、それを警察に見付かり罰金を喰らう頭の悪いアパマン上野店の齋藤に付き合わねばならないのか。時間と金の無駄である。不動産業界は情報の透明性がかなり悪い。道頓堀川ぐらいだろう。潜って底の泥を飲めば死ぬ。情報の非対称性という、経済学の教科書では存在するのが当たり前とされている状況も、不動産業者が単に頭が悪いだけだと思うと納得がいかない。条件に合う不動産を探すためには、相当な労力が必要である。こういったコストや、実際に引越しをするために業者に払うコストなど、もろもろを考えれば買ったほうが良いというのも分からなくはない。
不動産を買ってしまうと、値段の上下動が気になる。上に向かう分にはそんなに気にしないだろうが、下がる時はレバレッジが効いている分恐怖である。しかし買っていることで、ある程度自由が利く。モノを壊しても自分で治せば良いし、納得が行く。その分大事に使う意識があるかも知れない。敷金が返って来ない等と言って、仲介業者と揉める必要もない。借りている側はごねるべきであるということを今回学んだ。こういった無駄な労力は一応ノウハウとして蓄積されるし、知り合いに教えると少し感謝される。2年おきに引越しを繰り返すのは苦痛である。しかし家族構成が変わったりする可能性を考えれば、いつ買えば良いのかも良く分からない。お金が無限にある訳では無い場合は、人生において不動産を何度も買うということは無いのである。投資においてレバレッジを効かせたい人にはお勧めする。
中古不動産の下落は現状ではそれほどではないが、これだけ金の回らない状態が続けば将来は見えているようなものである。新築マンションに今時手を出す人はなかなかいないだろうが、値引合戦の行く末は一体どのような未来だ。不動産業界はレバレッジを利かせるしかないから、こういう時は資金繰りへの恐怖から叩き売るしかないはずである。その叩き売りのマンションは安いのか、と言われるとそうでも無いような気がする。たった20年しか持たない日本の不動産に、大金を注ぎ込んで生活にレバレッジをかけるのは怖い。地震がいつくるのかも分からないし、保険でリスクをカバーしていたと思ったら保険会社が変なデリバティブの売り手になっていて飛んだりする時代である。
今来ている波もいつかは落ち着く。強気強気で主張し続けていた人間が落ち着いて、もう暫く続くでしょうね、なんていい始めたら株価は上がる。先行指標に従うのが一番正しいのだろうが、たまには間違えることもある。ヘッジファンド様だって、フォルクスワーゲンの株価があんなに上がるなんて夢にも思わなかっただろう。ご愁傷様です。乗っかれた人は信じられないぐらい儲かっただろう。巨大な踏み上げの地獄絵図である。そういった偶然がどこにでも転がっていると思ってしまうのが、愚図な一般投資家というものである。一般投資家が何か騒いでいたらその逆を行く。それが一番損をしない方法である。大体世界中で遅ればせながら日本が馳せ参じるようなマーケットというのは、撤退すべき時期だと知らせてくれる場合が多いから、日本のマスコミはそういう意味では多少存在意義があるのかも知れない。彼等の報道は、何だかすっかり冷めたお茶みたいなものである。仕方ないから庭に撒くしかない。庭の芝生も喜ばない。試しに床を拭いてみる。カテキンで汚れが綺麗に落ちる。

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