2009年4月26日日曜日

Guangzhou 44

こういう実務経験をしたいとかいうことは段々薄れていき、その組織の不文律を守ることに注力する。なぜ組織の不文律が出来るのかと言えば、少なくとも一定期間は組織が成長したからである。組織が成長したことを成功と捉えれば、そこにいる人たちはそれを自然に守ろうとする。それを守ったことで成功したのだから、それを守るのは当然だと考える。それが馴染み組織風土となり、更に成功すると、更にその組織内の不文律を守ろうとする。つまり組織における不文律とは正当化の歴史であり、正当化を繰り返したことによって蓄積してしまう一種の澱のようなものなのである。不思議なことにこれを守ろうとする。環境が変わればそれまでの成功体験というものは意味がないものになってしまうが、多くの人が自分の学歴とかをいつまでも話したがるように、組織の不文律というものも、いつまで経っても引きずられる運命にある。

少し環境が変わっただけであれば、それもただの無駄として企業の利益を痛めるだけなのかも知れないが、環境が激変してしまうとその組織の不文律という過去の成功体験は、もはや化石化してしまい、意味がないもの、あるいは組織の現状にとっては有害なものとなってしまう場合もある訳である。いつまでも学歴だとか資格を引きずり続けているような人間が、年齢を積み重ねるに連れて浮いていくような状況を考えれば良いだろうか。50歳にもなって、昔話ばっかりする人間というのは面白いとは思われないだろうし、結局その後は何も蓄積できなかったということになる。組織が生まれ変わる必要があるのは、そういった組織において守るべきとされてきた不文律について、既に環境が変わってしまっているので、それを守ることが組織を害することになるとされるような場合である。

とある、ルールがあったとする。そのルールは一定の環境化においては、組織内の考え方から生み出されて結果を出すことになるかも知れない。しかし、環境が変わってしまった場合には、そのルールを守るということが、逆に組織内の考え方を変えていることになっている場合もあるということである。最近のように監査法人も大量の合格者を吸収することに躍起になっている状態では、合格者の質など保てる訳がないが、職人芸を教えていくような今まで通りのやり方で通用すると考えている会計士が多ければ、組織の雰囲気というものは必ず悪化してしまう。職人芸について来られない人間もいるし、当然採用する人数が増えれば、その採用された人間が組織に求めるものも多様性を含むことになるからである。必ずしもその組織で成長したいということを考えていないかも知れない。成長を促すことが単に押し付けになってしまうかも知れない。出来る人にはそれで良いのだろうが、苦痛でしかない場合というものを考えておかなければならない。

特に今の若者は、仕事で実績を残すことよりも、自分自身と言う個性を発揮しながら働くということを目指している傾向が強いからである。現実的には個性を発揮する場所など、飲み会や喫煙所くらいしかない訳であり、たいていの場合は仕事で結果を残すことも出来ない。それは組織に馴染み、不文律を理解するという重要なことを行わずに、自分のやりたいことや考え方を主張してしまうという、今風に言えば空気の読まなさというものがさせる業である。これではいくら実力があったとしても、それを発揮するための環境を整えることが出来ない訳であり、現状では日本の会社の場合にはそれは自己責任であるとされているのである。そのことを十分に理解させた上で採用することは、ほぼ不可能であるから、大企業には就職するなとしか言いようがない。

組織の構造が抱える問題点を把握するためには、医師が患者にするように、いったいどんな背景があって、今のような状況が生じてしまっているのか、というように考えて紐解いていくことをしなければならない。会計士は、会計と監査と自分が関与している業界だとか被監査会社については、非常に詳しくなるが、それ以外のこととなると途端にアホばっかりになってしまう。しかし監査法人というおらが会計事務所の集合体というもののマネジメントは、生まれてから大きな企業再編を経ていないような会社に比べて遥かに難しい訳であり、そのような企業が他人の会社の数字を見るなんておこがましいとは、誰も思わないのだろうか。

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