2009年4月26日日曜日

Guangzhou 47

飛行機の出発まで少し時間があったので、軽食を摂る。珍しくビールも飲む。

景気回復云々という話はやはり気分的なものなのだろうと感じる。経済成長が少し停滞したからと言って、日本人が劇的に貧しくなることなどあり得ない訳であるし、昨日出来たことが出来なくなるということもない。自動車の生産の調整は進むだろうし、住宅の建設のスピードは低下するだろうが、これまでに蓄積したものが破壊される訳でもない。経済成長は確実に蓄積している訳である。ただその中に必要のないものもある。それを削ぎ落して行く。最近の興味の対象は市場にはないせいか、どうも株価が云々という話が無駄に感じる。組織内の制度を改革したいという気持ちがあっても、自分のこれまでの実績というものが小さいせいか無駄なのだろうなと直感的にも感じるし、少し理論的な理由付けが欲しいと考えて組織の経済学について学んでみるとやはり無理だろうという答えが出てきてしまう。

株価ばかりを気にしている経営者というものはあまりいないのだろうが、どうも監査は必要ないのかも知れないと感じることもある。情報の非対称性を解消するための取引コストとして市場に存在する監査は、投資家に財務諸表の中でも数字に限った話で言えば保証を与えるのかも知れないが、実際に企業の買収といった側面では価格ありきで価値評価が行われる側面を考えると、バリュエーションなどは後付けの説明資料に過ぎない。更には過去の情報のみを集積した財務諸表に基づいていったいどの程度の人間が将来に向けての投資意思決定をしているのだろうかと疑問に思う。信頼できる人間が行っているビジネスであれば、財務諸表というものの重みというのは、それほど大きくなくなるのだろう。

組織というものを構築することの意味は、市場での取引コストに耐えないがゆえの効率化であるが、その一方で組織を構築する場合には、組織化のためのコストが発生してしまう。政府系の官僚機構などの生産性の低さというものがそれであろうし、監査法人のような大企業の中で意思決定の遅さもその組織化のコストに含まれるだろう。経済学部出身の人には退屈な話かも知れないが、経済の素人からすると組織という一種の生命体の非合理な行動というものは観察に値する。組織の効率性を考えた場合に避けて通れないのがいわゆるゲーム理論なのだろうが、会計士試験の受験勉強で学んだ計算はきっと役には立たないなあと感じる。あの上司は何であんなにアホなんだ、という発言をする前に利害関係というものをやはり学んでいくことが必要なのだと、少し出世したせいか感じるようになった。

監査法人という特殊な企業のプライベートエクイティのパートナーには一定の利害があり、組織としての正義と会計士としての正義といったものがいつも天秤にかけられる。スタッフの自己実現と言うようなものを唱えるのは、彼等からしてみれば誰が働いていても同じなのだから戯言に過ぎないだろう。20年30年かけて築いた既得権からいかにして収益を獲得していくのかという点を重視するのは当然である。そのことに気付かない若い会計士連中は腐って辞めていってしまい、結果として二度と監査法人には戻りたくないと考えていたりする。

0 件のコメント: