2009年6月21日日曜日

Guilin 12

人間、特に先進国の人間は綺麗なものを見すぎているのかも知れない。人間の汚い部分を見ないようにするために、他人と出来るだけ接しないようにする。汚いものに対する免疫が十分に発達しないまま成人し、汚いものにぶつかると目を背けようとする。東京駅前の丸の内でも八重洲でも、綺麗なものしか見えない。こんな環境の中で暮らしていれば、多くの部分を切り捨てた上澄みだけで暮らすことになるのではないか。人間としての幅を狭めているのかも知れない。個体差を無視した均一なもの、という人間に対するイメージを構築しているのは、テレビやインターネットに現れる上澄みの情報だけを組み合わせて生み出したつまらないものなのかも知れない。

真相を知る前に先入観を作り出し、それによって多くのものを簡略化して判断できるようにする。ステレオタイプというものである。これによって複雑な現代を生きやすくする。与えられる情報が画一的になればなるほど、人間に対する許容範囲というものは狭まる。許容範囲というのは、予測可能な部分という意味であるから、多くのことは予測可能であるというイメージを持っていることになる。しかしながら、蓋を開けてみると、人間というものはもう少し幅が広い生き方をしている訳であり、イメージ通りの画一的な人間が集まるのは偶然と言うべきであり、それをスタンダードにして物事を考えるのは、浅はかと言うべきではないか。

教科書に載っているようなことでは、問題解決が出来ないことは多くの人間が直感的に理解しているところであり、それが何故なのかを理解できない人間は多いが、結局は汎用化する段階でそぎ落とした情報が、本来は重要視されるべきであったということになる。時代が流れることで、今あるものに基づいて判断しようとする。これがもはやステレオタイプの源泉であり、パラダイムの変化に流されてはいけない部分というものなのかも知れない。古典に立ち返って何かを考えると正解に近づくことがあるのは、現代人が時代の変化に伴って失ってしまった何かを、思い出させてくれるのかも知れない。それが常に正解かは分からないが、人間の本質と言うものが変化しないものであるとして、表面的な行動が時代の変化に流されてしまうような浅はかなものだとすれば、前者に重点をおいて物事を考えることは、最終的にはそこに回帰するということを想定する考えであり、これはむしろ自然に感じる。

CFAのLevel2を先々週受験したが、その疲労が抜けず体調の回復に土日を全て充ててしまう。今回は中途半端な結果になってしまい、試験から満足感を得ることが出来なかった。やはり監査人という職業であるにも関わらず、5月や6月に行われる試験に臨むということには無理があったのかも知れないと自分への慰めと他人への言い訳である。試験のための勉強に費やした時間も、振り返ってみると土日少しと平日は電車の行きと帰りだけで、大した時間ではなかったように思う。仕事は出来るだけ早く切り上げて帰るようにしていたが、それでも家に帰れば9時とか10時になってしまい、そこから3時間4時間勉強するというのは、並大抵のモチベーションではない。かと言って仕事へのモチベーションが高いという訳でもない。会計監査というものは、一定のラインを超えてしまうと一気にモチベーションが下がってくるように感じるが、これを乗り越えた後にやりがいのある世界が待ち受けているとは想像出来ないし、そこまで持ちこたえる自信が無いと言うところか。監査人としては、CFAの学習などせずに、IFRSのコンバージェンスに向けた準備を行っていくことが求められているのであろうが、それ以上にしょうもない仕事が多すぎて、モチベーションを削がれてしまう。これも自分の精神力の弱さ、組織への依存というものが原因であり、つまり能力が不足しているということなのだろうと感じる。結果として、他の資格の勉強をするというのは、現実逃避の象徴なのかも知れない。しかし全てを自己責任として片付けることも、非合理的な考え方である。組織には意味不明な現象が罷り通ってしまうことが多くあり、これは自分の力ではどうしようもない場合もある。これがやる気を削ぐ原因であり、いつまでも改善されないのであれば、何らかの手段を検討しなければならない。

今回受かるような事があれば、それはそれで嬉しいのだろうが、マークシートの読み取りミスが起きたとしか思えない出来であったように思う。Pure guessが全体の20%ぐらいはあったように思うし、後は2択に絞れたものからどの程度当たっているのかということだが、それで受かってもあまり意味がないことかなとも感じる。試験は70%でも80%でも受かることはあるが、実務で求められているのは100%以上なのであり、試験で発揮できなかった20%30%というものは、結局のところ実務に入る前に獲得していなければならない。一緒に働いてみると試験に受かるということだけを目的としてきた会計士がかなりいることが分かるが、このようなタイプの人は、予備校の戦略(とりあえず分からなければ暗記せよ)を忠実に実現することが出来た人でもあると言えるが、実務と試験での知識がうまくリンクせず、その後の学習もスムーズにいかないのが現実である。

最近他人の評価を担当する機会が増えて来たが、そのような資格が自分にあるのだろうかと悩む。他人のモチベーションをコントロールすることは、技術の1つなのだろうか。自分のモチベーションすらコントロールできない私のような人間の口から出てくる言葉は、全て詭弁なのではないか。会計監査という仕事は、資本主義経済を支えるという点では非常に重要な仕事なのかも知れないが、努力の割りに上場企業が受ける恩恵というものは見えずらく、達成感が感じられないという事は多く聞く。その割りに給料が他と比べて高いという訳でもない。そこでプライドの高い会計士が、何にそのやるせなさをぶつければ良いのかという問題が潜んでいる。会計士試験など大したことはない試験ではあるが、これに何年も費やしてきた多くの一般的な会計士にしてみれば、自分達は特別な存在であると考えてしまう傾向が有るのは確かであり、一部では試験の難易度ばかりを強調して、その地位を高いものであると感じさせるような情報があるのも確かである。その割りに会計監査という業務の内容は想像と違うことが現状であり、そこにやる気を見出すという人もあまり多くない。昔の会計士というのは、会計士という職業に憧れがあったのだと言う。今はそういうことは無いと言っても過言ではないように思う。単にお金に興味があって、数字を理解できるようになりたいとか、そういうことが最大のモチベーションであって、会計士という職業への憧れというのは、多少はあるのかも知れないが、結局は給与の水準に過ぎない。

私の場合も、結局のところ給与水準の高さというのも理由の1つであったように思う。株の取引すらしたことのない人間に、資本主義経済の重要性など理解できるはずがないし、実際に実務に入ってもなかなかそれを体感することは難しかった。完全市場の仮定に反して、投資の意思決定において、合理的な意思決定を出来る投資家というものが、あまりに少ないことも原因なのかも知れない。結局のところ、会計士も有価証券報告書の一部については非常に詳しいが、数字を読む能力というものは無いに等しいと考えて差し支えないと思う。これは大きな問題であるが、教育の体制に間違いがあるということは認識しているはずであり、今後必要に応じて徐々に修正されていくことが予想される。しかし全体が方向性を修正するには時間がかかり、個々人で出来る学習をどんどん進めることで世の中を先取りすることが出来る。今のところ自分の身を守るために出来ることと言えばその程度なのである。私もCFAの勉強に偏ってきたが、夏は相当に時間を割いてIFRSの学習をしなくては、世の中から取り残された化石会計士になりかねない。

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