2009年2月18日水曜日

Kaiping 35

観光を終えて開平から広州に向かう。開平に来ることが一生のうちにもう一度あるだろうか。世界遺産を作り後世に伝えていくといったことが出来るように人類には理性があるようだが、欲というものを抑えるには少し足りないように思う。地球の温暖化が人類の仕業であるかどうかは分からない。ただ絶滅危惧種を保護団体がギリギリのところで守り生態系を維持しているといった報道をすることで、人類は踏み止まり地球を守っていこうとしているようにしていると見せるマスコミがいるのは確かである。自己の利益を省みずに自然を保護したり、生態系を維持するために貢献出来るような人がいたとしても、人類全体がそういった方向を向かなければ結局は焼け石に水な訳である。彼等の行動は素晴らしいものであるが、それに理解を示せるほど人類全体としては理性が足りないのではないかと思う。世界遺産として指定して保護していくという目論見は諸刃の剣である。観光のための開発が生態系そのものを壊す可能性が無い訳ではないからである。大事なことをギリギリアウトの段階で気付いて滅び行くのが人類の宿命であるようにも思えるが、地球温暖化が人類のせいであったかどうかが分かるのはもっとずっと後になるのかも知れない。氷河期が訪れた場合、それは人類のせいだとは言わないだろう。結局温暖化対策も利権が絡んだ米国企業のロビイングによるものであったという結末は有り得ないか。
小さな世界で築き上げてきたものというのが意外と浅いものだったりするが、自分を守るためにそれに寄りかかっていたりする。しかしそれは役に立たない。生きる上では役に立たないのである。個々人を形成するものは、小さな世界で暮らしてきたものの積み重ねであるから、当初に出来る限り広い世界で経験を積むということが、将来頓珍漢な人間にならないようにするという意味では大事である。日本にしか暮らしたことのない人間が国際性を育むということは難しく、結果として狭い世界での経験に基づいて判断をすることになる。いつの時点でどのような経験をするのかということが、その後の人生に大きな影響を及ぼす可能性がある。自己投資は常に複利運用なのであり、ある経験に基づき判断した結果が経験として積み重なり、それがまた判断のための根拠になり新たな結果をもたらす。人生とはこの繰り返しであり、いかなる経験をいかなるタイミングでしたのかということは、人生というものの分岐であって、引き返すということはその間の複利を諦めるということになる。
高齢者の低所得者の生活保護世帯が増加の一途を辿るという。人口動態を見れば頭の良い官僚や政治家なら誰でも予測出来たようにも思う。そのツケは色々な面で現役世代に負担をもたらす訳であり、その不公平な状態を改善するには消費税で老人にも負担を強いるしかない。団塊の世代に話を聞けば、自分の親の世代が一番幸せな時代を生きたと言うが、我々からすればその世代だって十分に幸せな時代を生きたようにも思う。政府が過大な義務を負うことで、国民一人一人の自己責任というものの線引きが曖昧になってしまった。何でも誰かがやってくれる時代というものは既に終わっていて、今後は年金というものも自分で用意しておく必要がある。国が何もしてくれないという前提で生きなければならない若者と、バブルで投資を失敗して借金を抱えた団塊の世代とどちらが不幸だろうか。企業もリストラという言葉が流行った時代を経て、雇用に関してはシビアな姿勢を示す。リストラの時代に首切りにあったのは確かにおっさん世代かも知れないが、今はその雇用にすら就くことが出来ないのが現状である。そこまで自己責任を問われる時代なのであり、競争は熾烈と言わざるを得ない。老人が孤独に生活保護を受けて暮らすということが可愛そうだというのは分かるが、その人生数十年において自己の責任というものは無かったのか。今の世代が抱える苦悩と戦争における被害というものは比べようも無い。しかし生活の水準に関して世代間の格差を感じたりしている。時代は急速に流れた。モノが無いという時代を経験し、渇望を糧にしてタフな人生を送った戦後のベビーブーマー達よりも、モノが溢れているにも関わらずそれを手にすることが出来ない現代の貧困層の方が問題は深刻である。彼等にはインフレというものは恐怖でしかなく、それすら自己責任として死を選ぶしかない場合もあるからである。
こういった高速道路の料金所にいるのは大体若い女性で、彼女達の健康被害が問題にされている。青空が見えないほどに汚れた空気を間近で吸い続ける彼女達はきっとアレルギー症状に悩まされる時が来るはずである。化石燃料から完全に抜け出すまでにはかなりの時間がかかることだろう。太陽光発電もようやく国家体制をとり始めた状態である。しかし今は金が流れ込むスピードも速い。そういった資金の流入が研究開発を競争環境にさらし、著しいスピードでエネルギーの交代が進めば望ましい結果に繋がるだろう。人類を滅ぼし得る原子力の利用というものは、効率を考えれば良いのだろうが、それをいつか後悔する結果になるかも知れない。今はどこの国も隣国に核を打ち込まれるリスクを抱えている。大衆というのは簡単に変貌し得るのだから、日本が軍国化しない理由は無いし、憲法が守られるという保証もない。
なぜデパートに行くとすぐに疲れてしまうのか。女性はデパートでは常に逞しいが、おっさんはベンチでぐったりしている。目的も無く狭い場所を何時間も歩くのは精神衛生に良くないようである。

Kaiping 34

解を探すために悩んで悩んでという状態にあると、しっくり来るものがあるとそれがまるで方程式の解の公式であるように見えてしまうことがある。たまたま探していた方向と一致するだけで、次に使おうと思ったら結局間違っていたかも知れない。そのための検証期間というものはどうしても必要である。時間がかかって仕方が無いと思うか、後日やり直しを迫られることにより発生するコストを思えば安いと思うのかは人による。直感的に動いて正しければそれが一番正しいのは当然なのだが、それも非凡な才能を持つことを許された宇宙人によってのみ達成され得る。宇宙人を育てるのは簡単である。放っておけば良い。組織にとって問題なのは、宇宙人ではない地球人をいかに分類し動機付けて貢献してもらうのかということである。



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ガイドの話ではこの鶏は中国の正月に食べるために肥えさせているということだった。中国の正月は1月26日だったと思うので、このブログを書いている段階では既に彼等はこの世にいないことになる。広州酒家でも鶏の料理を食べたが、美味ではあるものの、ちと油が多すぎるという気もした。この太らせっぷりを見れば納得ではある。開平も世界遺産に指定されたことで観光収入が入るようになったのだろうが、未だ暮らしは貧しいのだろう。インフラの整備状況を見ればとても日本人がふらっと来て暮らすということも出来ない。交通網の発達も必須である。広州から来るときにバスで何時間もかかるし、開平についてもタクシーなど殆ど見かけない。ガイドブックも充実しつつあるが、余程旅慣れていない限りツアー以外でこの街を訪れるのは難しい。観光客が泊まるようなホテルは開平市内には恐らく皆無であり、近くの江门(江門)市には幾つかホテルがあると紹介されていた。積極的に投資を今の内にしておけば、インフレがその投資による債務を霞ませる。日本ではそんなことは有り得ないだろうが、中国は未だそういう時代なのである。



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