2009年2月9日月曜日

Guangzhou 12

ガイドブックによれば陳氏書院は科挙の候補生が試験勉強をするために集まっていた場所であるとの記載。いわゆる官僚の試験であろうが、蒼穹の昴に書かれたような内容を想像すれば良いのだろうか。試験のレベルは壮絶なものであり、今の受験戦争など比にならないのだろう。日本も受験戦争は過酷であり、都内の進学校や一部の国立大学に関しては十分に競争原理が働いているように見えるが、それでは満たせない何かがあり、ゆとり教育という概念が生み出された訳である。新しいことを考える前に基礎となる概念を学ぶことは、いかなる科目においても行われていることである。政策の決定についても同様であるはずだが、そこにある何か非効率的なものがそれを阻害し、日本の競争力というものを低下させ続けている。危機からの脱出というのは雑誌の表紙を飾るだけであり、日本国民のマジョリティが目の前にしているのはそのような危機ではなく、ミクシィの画面かヤフージャパンのどちらかである。
東京駅を歩いていると、手相の勉強しているので見せてくださいと言う輩がいるが、この頻度の高さはどうにかなるまいかと思う。どこの宗教団体か知らないが、私はそういうの興味が無いので声をかけないで頂きたい。隙があるからか、あるいは相当悩んでいるように見えるのか、大体において勉強しているという段階は幅が広すぎる。始めたばかりなのか、それともベテランだが試験に受からないのとでは、結構違う。とまあ意味も無く、早く帰れる日には本屋でも行くか、と思って目当ての本を検索機で探すと品切れである。本屋も通い過ぎると飽きる。その傾向が見えて来て、本屋が何を考えているのかというのが何となく分かるようになるからである。売れる本と良い本とは違う場合もある。本は買うものであり、買わされるのは無駄である。買わされても良いではないかと言う意見もある。無駄を排除しすぎると、本というものの存在自体が無駄になってしまう。
アマゾンに登録して何か本を買ったりすると、余計なお世話で本を薦めてくれる訳であるが、自分で手に取ったものでないと買わない私にはあまり効果が無い。それでも本屋に行ったときに、ああそういえばアマゾンがメールで送ってきてたな、などと考えたりするのだろうか。ある作家のことが好きだというような場合、無条件にその人の本を買うようなことがある。そういった場合には、新作などが出た際に連絡をすれば販売数を伸ばせるようにも思う。マーケティングというものは、人間の心理をうまく使う必要があるのだろうが、それを突き詰めすぎてしまうと意味の無いものまで売れることになる。自己投資だから構わないではないかと言う意見も分かるが、売る側のモラルというものが無くなれば市場での需給が均衡しない。愚かな大衆のみを相手とするようなビジネスをするのであれば、元々そのようなビジネスは必要が無かったということなのかも知れない。売りたいものを売るのは、競争が働きにくい分野では簡単なのかも知れない。
最近では監査報酬についても、日本の上場企業全てについてまとめた本などが出ているが、これを誰が役立てるのかは謎である。他社との比較に使うのだろうか。それもまた意味の無い議論である。そもそもあるべき監査報酬というものが確立されていない環境で、同業他社との比較をして値切ったり、上乗せを要求したりするのであれば、監査人の提供するサービスそのものには価値を認めていないのと同義である。パートナーが負うリスクに見合った報酬を得ているかどうかという話になると、決まって得ていないという回答が帰ってくるのだろうが、それも良く分からない。保険に入るのが普通だとすれば、結局そのリスクをとっているのは監査法人や監査法人のパートナーと言うよりも、保険の売り手だったりするということである。株主の金で働いているという感覚もあまり無い会計士が多いのは、ファイナンスって何?という会計士が多いことと相関が強い気がしなくも無い。適正なサービスを提供し、適正な報酬を受け取るという感覚があまり無いのかも知れない。改善する速度はとりあえず遅い。
既得権益を守ることは、事業戦略上は他社の参入を許さないという点では重要であるし成功していると言えるのかも知れないが、それも金融庁様のおかげで揺らぎつつある。結局チャージベースで予算など無視して垂れ流したものを顧客に押し付けるという昔ながらのスタンスは変わることは無いし、一方で内部統制など全く無いと言っても過言でない企業が監査報酬が高すぎるなどと言う訳であるから、適正な報酬が何なのかということよりも、そもそもの企業側のモラルと監査人側のモラルの低さが問題であったりするように感じる。企業が自分に対して厳しくなければならないのは当たり前である。しかし、厳しさの対象が、営業利益だったり売上だったりすれば、それはモラルを崩壊させる恐れがある訳であり、少なくとも財務諸表にはそのようなモラルの無さというものが見えないようにしなければならない。取り繕い始めればその企業は既に崩壊への一歩を踏み出してしまったと言えるし、昔のように何とかなった時代も既に終わった。我々の仕事の意義というものは、あるべき姿を示し企業を指導していくことにあると言えようが、若造どもにそれが理解出来るのかと言えばそうでもないような気がする。監査法人も使命感に燃えるような育て方をしていないし、何言ってるのか良く分からないオヤジが前に出てきて声を張り上げているあたりは、ああまたかと多くの人材が外に逃げるのも当然であろう。収益基盤を強化することは重要だが、コストありきの経営をしている時点で、ゴーイングコンサーンの対象になるはずである。自らが担当する企業に対しては遠慮なく注記を付けさせる訳であるが、自分の都合の悪いことには目を瞑る、あるいは瞬き程度にしか感じていないのかも知れないが、基準に書いてあることとは矛盾した行動に出る、それが現状であると思う。

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