2009年2月11日水曜日

Guangzhou 15

でかい硯。
便利さを追求するに連れて人類は頭が悪くなっているのだろうか。進歩の上に進歩を重ねているように見える人類の飽くなき執念というものは、果ては宇宙にまで広がりつつある。個人的に今以上に便利になって欲しいことと言うと、旅行の時に調べものがすぐに出来るポータブルな機械が出来ること、それから読書や勉強をする時に肩が凝らないような体制を保てる椅子のようなものが出来ることぐらいである。道具の使い方を学ぶことは確かに重要である。デジタルディバイドのような出来事は今後も起こるであろうし、道具を使うことで劇的に効率がアップするようなこともあるからである。しかしその便利さを当たり前のように享受し、そこに甘んじているようであれば、それ以上の進歩というものはそこから生まれない。進歩と言っているが、実際には怠惰の積み重ねかも知れない。ラクをしたいという発想が、発明に結びつくこともあると考えると、ひと括りに便利さの追求を否定する訳にはいかないのかとも思う。
流行りものに流されないようにするにはどうすれば良いのか。流行りものに流されるということは、企業の商品のマーケティングにのせられていることや、証券会社とか銀行で下手糞な投資信託を買わされることでもある。株式への投資を行う際に、アナリストが行うような詳細な調査を行う個人の投資家というのは殆んどいないだろうし、株主総会に行くことも、あるいは財務諸表を見るということもしないかも知れない。となると監査人の存在意義もそれだけ薄くなる。市場のレベルが低いということなのかも知れない。不思議だが、監査とはそれだけ高度な次元での仕事であるとも言える。これを言うと奢りに聞こえるのであまり強くは言いたくは無い。自分にとってどれだけの価値があるのかということを株式にも求めるべきであり、単なるギャンブルをするのであればよっぽど運が強くなくてはならない。投資をして儲かったということが、運ではなかったと統計的に証明するのは大変だが、大抵の人間は長い期間で測定すれば運だったというところに収まってしまう。だから投資で買っても負けても、勉強していない人がやったのであれば全て運であると片付けた方が寧ろ正しい。
ありきたりだが土産物屋を覗く。どこの国においても観光産業で暮らす人口はかなり多いだろう。一部の国ではテロ組織が世界遺産を破壊するということもあるが、経済的に外国人が金を使うということにより潤うことは確かである。急激な世界同時通貨安(日本円と米ドルは例外)が訪れたことで、購買力平価が均衡し、以前のように日本に外国人がどんどん旅行に来るということも無くなるだろう。中国元も強くしようと思えば数字上はすぐに出来るのだろうが、それが出来ずに外貨準備を積み重ねまくるのは、結局輸出により外貨を獲得することにより経済を成長させていることの証である。日本も同様に外貨準備を積み重ね続けているものの、それを上回る勢いで円高が進んでしまったことで、世界に誇っていたエクスポーターは需要減による売上、営業利益の減少と、為替差損による経常利益へのインパクトで急激に業績が悪化することになった。3月決算がもう少しでやってくるが、すでに株価はそれを織り込んでいるだろうか。市場が常に正しいとは限らない。修正を繰り返しつつ落ち着いていくのが人間と市場の性質だからである。
毛沢東先輩の肖像画を売っている?中国市場への期待は未だに高い。日本人はそれだけ日本に失望してしまっているし、それ以上に為替の影響があるせいかも知れないが外国人も日本株を買わない。劇的な変化がこの国に起こるということも無いように思える。政治家も酷いがマスコミもそれ以上に酷い。企業が財務諸表に出てくる数字を少しでも良く見せようとして、粉飾をするモチベーションが生まれてくるように、テレビ屋も視聴率を気にして大衆にウケるような番組の内容や報道を繰り返す。この国を築いていくという意思は感じられず、国民にとって害でしかない娯楽番組を垂れ流していたりする。素晴らしい番組も時にはある。しかし万人に受け入れられることが、広告会社にとって重要であるということが、テレビ屋にとっても重要であり、それはまた広告主である企業がそうさせているということでもある。中国でプロパガンダを流している何とかというテレビ局のビルが炎上して騒ぎになっていたが、どこの国もマスコミが真実を伝えないのは同じである。影響力が大きいのは明らかなのだから、報道が真実であるか否かを検証する権力を持った機関に定期的に検査を行わせるべきである。民主主義を本当に思うのであれば、何かの道具であってはならないのがマスコミというものだからである。

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