
向き不向きという問題と能力的な不足が重なれば当然に仕事というのは出来ないものとされる。お互いにそれは不幸なことであり、結果として妙な噂が社内で広まっていたりする。双方向から客観的に見るということは難しい。新しい場所では活躍できるかも知れない。必要最低限のことをこなせないという状態の辛さというのは、相当なものであるはずだが、水準を低くするということは出来ない。不公平感というものがより一層強まってしまうことになりかねないからである。何を諦めるのかというところで、譲れないものというのは会社によって違うのであろうが、単に仕事をするだけでなく、プロフェッショナルとしてのサービスを提供するとなれば妥協をして良いことなど微塵も無いとするのが職業人の務めでもある。働いている人間は確かに幸せであるべきである。しかしやすきに流れる形での幸せというのは、結局は怠惰であり生産性など向上しないし、サービスの質も低下するだけなのである。従って、それに賛同出来ない、あるいは能力的に難しいというような場合には、新たな道を探すという戦略を取る必要が出てくる。単に切り捨てるのでは、採用したという点についての人事上の義務を果たしていないことになり、それは双方にとってマイナスであるから、やはり次の選択肢やビジョンというものを用意して、結果として納得のいく形にすることが必要である。

1つの方針が正しいということを信じて押し付け続けていると、いつの間にかそれに不満を持つ分子の方が多くなってしまうこともある。その場合に正しいのは不満分子の集合であり、数で負けることで正しいと思って主張していたことが、(仮にそれが客観的に見れば正しいことであっても)悪であるとされてしまうことはあるだろう。結果として革命が起きる過程では、どちらが正しいのかは別にせよ体制を倒すということが生じる場合には、体制側が状況判断を出来ない状態にあったということが最終的に敗北する原因であると考えられる。感情的なものはすぐに増幅してしまう。ちょっとしたことが猛烈な憎悪になることはコミュニケーションの不足する現在ではよくあることであるから、組織を運営するに当たってはそういったことに十分気をつけなければならない。監査法人においては、会計に強いとか、特定の業界に強いというのは評価の対象ではあるが、ソフトスキルというとクライアントコミュニケーションぐらいしか評価の対象にならない。これではチーム運営などの能力が評価される土壌が無いので、いつまで経っても学ばないし原因を解明出来ないままなのである。昨今急激に拡大した組織をうまく運用出来るかどうかという点で、チーム間で差が生じているはずである。単に運が良かっただけなのか、レベルが均一で江戸時代のような助け合いの精神が生まれたのかは分からない。リーダーシップの欠如というのは会社全般に言える課題であり、古き良き時代の会計士が65歳で定年退職を徐々に迎えて行くことを待つことしか出来ないのが現実なのであろう。

尊敬の対象となるような人は当然他の会社と同様にいるが、そういった人においても組織で生きるというのは順応するということと同義であるというのは共通認識であり、それをひっくり返すような発言は歓迎されないのは想像出来る。組織に不満を持つものもいて、そういった人間にも能力があるかも知れないが、自分で仕事に責任を持つことが出来ない場合もかなり多い訳である。そういった人が増えてしまえば組織は既に壊死している状態も同然で、回復することは出来ない。組織自身の浄化能力というものは、一気に水を注げば崩壊してしまう。会計や監査しか学んだことのないある意味常識が欠如している経営が許されるのは、既得権益というものがそれだけ絶大でウマいものだからなのかも知れない。寝ていても金を生み出す監査という独占業務の権益というものは、この数十年もの長きに渡り中東における石油のような存在であったのかも知れない。金融庁が会計士の人数を増やすと打ち出した後も、JSOXというこれまた打ち出の小槌を取り出して振り続けた。打ち出の小槌は無限に願い事を叶えてくれるものではない。最後の願いとしてもう1つ打ち出の小槌を出して下さいと頼むことは出来ないはずだが、脳内ではそういった事を考えていて、今度はIFRSという打ち出の小槌で企業に商売を持ちかける。

企業に対する建前上はもちろん必要だが、プロフェッショナルとしての質の維持を掲げることは、実質的にはあまり歓迎されないのだろう。だいたい能力を向上させると辞めてしまうというのが現実で、それよりも寧ろタイムチャージベースで収益があがれば良いという信じられないどんぶり勘定は、間接部門による収益の搾取で疲弊する戦士を量産する。真面目にやるべきことは無限にあるが、それよりも簡単に企業に対して言い訳しやすい仕事をとってくる方がラクなのである。一方で最近思うことは、そのように無駄に見えることにも、多くの人間が合理性を感じている場合もあるということである。この場合には、そういった人間が権限を持っている場合、組織においては是とされてしまう。これを覆すようなベンチャー精神があるような人は既に自分で会社を立ち上げて成功してしまっているかも知れない。労働市場がタイトな時には保守的になる人が多いように、労働者というものが組織に労働時間というものを売る側であったとしても強気であったり弱気であったりという波が生じるのは当然のことである。従って今はマーケットの環境を見れば分かるが、多くの人が組織にしがみ付こうとしているはずであり、組織側にとっては普段はなかなかうんと言わない人間を手懐けるのに絶好の機会である。その人が特別優秀である必要も無い。ただ適当にはぐらかして時間を経過させてしまえば、結果として選択肢を失わせることに成功し、自らの駒として確保することが可能になるのである。人間の感情というのは分かりにくい。しかし欲求というものは殆どの人が失わずに抱えているものであり、それが時々こぼれて見えることがある。それに気づくかどうかというのはいわゆる処世術であり、センス9割、経験1割というところだろうか。

地下鉄の駅に向かう途中にマクドナルドを発見した。マクドナルドは中国では麦当劳と書くようである。
麦当劳- 我就喜欢陽気なCMが流れてくるマクドナルドチャイナ。16.5元でセットが買えるようだから、1元=13~15円であることを考えると、250円ぐらいだろうか。中国にしては高い気もする。1年に1回か2回行くが、それ以上は必要無いといつも思う。日本では大胆な値下げ攻勢をかますので、デフレに強いと言われているが、毎日マクドナルドのハンバーガーで耐えれるのは小麦と牛肉ばかり食べているアメリカ人とオーストラリア人ぐらいのものだろう。日本人は米を食う。これは当たり前のことである。毎日カレー食って飽きないのかとインド人に対して疑問に思う人も多いだろうが、それこそ毎日白米食って飽きない日本人がいることを考えれば、イギリス人も毎日ジャガイモ食って飽きないのと同じである。海外旅行に行くといつも食事で不安があるが、アジア圏であればそれほど大きな違いもないし、米を主食とすることが随分私を安心させてくれる。また、うどんやそば、ラーメンといった麺類を大量に食す日本人にとって、やはりアジアの麺はパスタよりも近い存在であるに違いない。とは言いつつも、日本人は相当パスタ食っている気がする。
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