2009年1月31日土曜日

Guangzhou 2

駅の改札を出ると、ホテル(酒店)の案内などが沢山ある。広東語が出来ないと話しかけると怖いかも知れないと感じる。土地の言葉を話せるようになるということは、長く暮らす場合にはやはり必要である。単なる観光で行くのであれば、英語で済ませてしまうということも問題ない。広州のように大きな都市では、観光地化することが職を生み出し経済を潤すということを知り、英語を話す人口も多く、観光客であれば不自由するようなことは無いと言える。しかし外国人がその土地の言葉を話すだけで、好感を持つと言うのも事実である。外国人に日本語で話しかけられれば、何故か心を少し開いてしまうというのが日本人である。他の国ではそうでも無いのだろうか。相変わらず上達しない自分の英語を棚に上げ、他国の英語事情などを考えてみたりする。
リッツカールトンに向かうために、地下鉄に乗る。タクシーで行っても大した距離ではないし、未だ物価が必要以上に安い中国という国では、タクシー代も非常に安いが、旅行先のインフラ事情を把握することは、その土地の民の生活水準を知るということに繋がる。写真を見ると日本で見る東京メトロのそれと対して変わらないように見える。漢字表記がそうさせているのだろうか。中国と日本という国は同じ文字(漢字)を使うが、その読み方も文法も異なる。長い歴史を持つ両国の間には、やはり様々な歴史があるのだが、それはイギリスとフランスも同じであり、感情的な面を除けば合理的に両国の関係を発展させていくということが行われているはずである。マスコミ報道で行われるような感情的な側面というのは、一部であるのだろうが、日本への憎悪を植え付けることで外交上金を引き出そうとしているという印象は拭えない。教育におけるバイアスの違いやマスコミの下世話な報道によって、国際的な関係というものは簡単に悪化してしまうように見えるがそれも下世話な発想だろうか。
地下鉄のチケットを買うのも非常に洗練されていて分かりやすい。この便利さを享受し始めた多くの中国国民が、自国の先進国化というものを望まないはずがない。経済成長は停滞するのかも知れないが、GDPが丸ごと無くなる訳ではない。毎年既に成長してきた経済インフラに基づいて生産が行われ、人民が生活し生産するのである。経済はやはり蓄積する。中国人はメンテナンスというものが下手糞なのか、あまり気にしないのか分からないが、老朽化したものがそのまま放置されているという印象を受ける。行き先を画面上クリックすると金額が示され、数元を投入する。Suicaのようなものがあったかどうかは気にしなかったが、香港ではオクトパスカードとかいうものがあるので、導入も時間の問題か既に導入されているだろう。そういえばオクトパスカードでチケットを買うと何故か少し安かったが、何故そのような仕組みなのかは良く分からない。事前のデポジットにそれほどの運用益が出るとも思わないが、資金繰りにはプラスであることは確かである。
Suicaもあっという間に普及した感があるが、将来的に通貨というものが無くなって行く方向なのだろうか。目に見えない金が動くというのは不思議な気がする。有価証券も無券面化が進み、数字だけが帳簿上動くことになる。帳簿上数字を膨らませるだけであれば、無限に金を生み出すことも出来るように感じるが、その時は他国にデフォルトを予感させ日本という国が破綻することになるということか。中国の統計の数字が当てにならないと言われているし、マーケットで決まるはずの為替も当局による為替介入により歪み、猛烈と言える外貨準備の残高を抱えている。中国はそれにより輸出品の国際的な競争力を保っているが、それにより日本円が強くなり旅行では恩恵を受ける。そんなことを考えながら旅行をしているのだが、現地人の生活とそのリンクというものを理解出来ない。経済政策を理解することが出来れば、投資家として成功することが出来るだろうと思う。それは将来へのあるべきビジョンとそれを達成するために何が必要なのかという、至極シンプルなことを理解するということだが、そのためには多くの有用な情報に触れることと、情報を正しい意思決定に反映させるということである。
財務諸表をいじくって、何か良く分からないカタカナの数字を弾き出し、同業他社がどうやらこれくらいだから、それも妥当である、と言ったことをやっているといつまでも長期的なビジョンというものを描くことは難しい。そのようなValuationが正しいとすれば、マーケットで株価が動いたりすることは無いからである。株価が動くということは不思議である。殆どの人間の予測というものが異なるということを、日々の株価の動きが証明している。市場を観察して研究する学者が多いのも何となく理解できる。そういった学者が十分に人間の欲というものの根源を理解出来ているのかは疑問だが、市場で起きる現象というのは新聞でも毎日取り上げられるぐらい多くの人にとって興味があることであり、公明正大に行われているギャンブルである。本来はそうでないと尤もらしく言うテレビに出てくるオヤジも投資で成功したという訳でもない。成功した人間も運が良いだけであることも多い。バブルはきっとまた生み出されるし、それで儲かって自慢する人間がいれば、損をして市場から撤退し、今度投資を始めるという人間に説教をする人間もいる。絶対的な量の教養というものが、まず前提であるとすれば、多くの人は投資するための要件を満たしていない。日本という国に市場というものがフィットするのだろうかという疑問はある。

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