2009年1月12日月曜日

Hong Kong 2

普段村田製作所などCMを見た時ぐらいしか意識しないが、海外の地で見ると何となく味方であるような気がしてくる。しかし彼等からすればただの旅行者なんて味方でも何でもないだろう。企業は戦略を常に考えていなければならない。死活問題だからである。監査法人のように規模を拡大することを目的とした戦略をとっても責められない会社とは違い、こういった会社は海外でのフロンティアを開拓し、そこでシェアを獲得しモノにしていかなければならない。市場の特徴というものに悩まされることだろう。グローバリゼーションとは言うが、現地でビジネスを行うということはそう容易いことではない。監査のようにどこに行っても同じようなことをやれば良い業種とは違う。しかし香港でも日本と同じように監査をしているのかどうかは微妙である。何かで読んだが香港の会計士は、USCPAを持っていれば2科目受験するだけで取れるとかそんな話だった気がする。日本の会計士は英語の試験を受けるだけで取れるようにしてくれまいか。
ホテルへの道のりはせいぜい30分程度である。タクシーの運転手は簡単な英語だけ知っている。100(one hundred)とか、そういう単語である。一応メーターを使ってくれるので安心する。こういった国のタクシーはぼったくりが多いと言う話を聞くが、それも人によるようだ。フランスに行ったときでもそういう運転手は一部だがいたし、中国で乗ったタクシーでそういう目に遭ったことも無い。そう考えるとモラルの問題というのは、その国そのものというよりも個々人の問題であるようにも思う。元々私は街を歩くことは苦ではないタイプなので、少し距離があってもタクシーに乗らずに歩いてしまうこともある。その方がその街らしい写真が撮れたりするというメリットもある。タクシー料金が幾らだったか忘れてしまったが2000円とか2500円とかそれぐらい。九龍を超えて香港島まで行くと、海底のトンネルをくぐるので40HKD追加料金が発生する。料金システムが観光客には分かりにくく、トランクに入れた荷物につき10HKDとかとったりするので、メーター丁度という心構えでは損をした気分になる。
ホテルには深夜の到着だが何の問題もなく、クリスマスムード一色である。日本ではクリスマスが終わるとすぐにツリーをしまって門松を立てるがこちらではずっとクリスマスである。見ていて悪いものではないが、今年はクリスマスという気分でも無い人も多いのではないか。あるいはクリスマスぐらいは、ということなのだろうか。失業率は上がっている。派遣労働者の解雇が問題になっている。しかし彼等も日本の総人口に比べれば微々たるものなのかも知れない。情報が流れる速度が上がり、当然のように日々報道される。目から取り入れる情報というのは信じ込みやすい。テレビで流れたものだけが世界ではないということを認識すべきである。いつもと変わらず日々を過ごしている人もいる。飲食店の業績悪化を思えば、財布のヒモが固くなったのは確かかも知れない。しかしその金が消えて無くなったのではなく、金融資産として積み上がっているだけである。日本は不況を健全に乗り越えることのできる数少ない先進国の1つではある。
不況を乗り越えることが出来る、というのもおかしいように思う。今後は経済の巻き戻しに直面する。アメリカ・イギリスは金融業界を拡大することで猛烈な成長を遂げたが、これらはかなりのところまで巻き戻しが起こるはずである。日本も円安・中国一辺倒であった好景気は消滅したことで今後の成長のビジョンを描けない。政局の不安が重なったことで、将来をどうしようかと考える若者も多い。若者からビジョンを奪っている時点でこの国の政治は失敗している。自民党だろうが公明党だろうが民主党だろうが、そういうことは問題なのではなく、今までのような考え方では駄目なのだという覚悟、捨てるという選択が出来ないこの国の保守という姿勢が原因である。国自体は沈むのかも知れない。それでも構わないだろう。労働人口が減れば劇的な技術革新なくして経済成長は有り得ないからである。その技術革新も模倣され長期的な経済成長を保証するということは有り得ない。しかし我々は生きるという選択肢しかない。生きるという選択を辛うじて支えているように見せているのが日本という国だが、何故政府の抱える債務が膨大になっているのか。これはもはや日本が限界を超えているということの証左である。税収の減少を補うということは不可能であり、消費税増税に反対する国民の愚かさには呆れる。
日本が今後国際的な地位を回復するということは考えにくい。数10年すると人材の不足が深刻な問題となるはずである。憂うべき材料はどこの国にもある。しかし日本を立て直すということは不可能なように感じる。日本がどうなるのかということは人類の歴史にとっては対して意味が無いように思う。近代というのは儚い。脆く儚い歴史である。こういった中で今でも国家の成長とか、人類の成長というものを意識することは無意味なようにも思う。既にこれだけの高齢者が労働人口世代から吸い上げる状態になっていること自体が世代間格差を広げる原因であり、この仕組みこそ改善すべきものなのである。年金で何%の収益を保証したのかは知らないが、国債を大量に買い込んでそういったツケを全て国民に押し付けていたことは事実である。色々と都合の悪いことがある。これを隠してはならない。隠していれば改善するだろうという時代は終わった。というよりもそういう時代は無かった。情報を開示することによって優位性が崩されることはある。国が動かなくなるということがあるのかも知れない。しかしそれを続ければ結局のところ日本は滅びゆく。利害関係の調整ありきというやり方では、何かが改善するということは有り得ない。そういう姿勢はこの国の勤勉さ・研究熱心さというものを徐々に蝕んでいくのである。

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