2009年1月4日日曜日

猫の投稿34

明けましておめでとうございます。無事に香港・広州・桂林から帰ってきました。後日写真はのんびりとアップロードしていくつもりです。

最近の猫の太り具合はドラえもんを彷彿とさせる。ドラえもんは今でもアニメで放送されているようである。昔は金曜日は10chでドラえもんを見る、という習慣があった気がするが、今の小学生はテレビよりもインターネットなのだろうか。喘息の治療法がまだ現在ほどに発展していなかった20年以上前は、減感作療法のための薬をもらいに行くために大きな病院に通うということが時々あったが、その時にマンガ本を1冊買ってもらっていた。そのマンガはだいたいドラえもんで結果として結構揃ってしまったように思う。当時の症状は医者に行ったり薬を飲んだりすれば楽になるというような症状ではなく、従ってマンガにでも釣られなければ通院させることは親にとって至難の業であったに違いない。時は流れ、今は喘息治療にも劇薬は必要ない段階にまで達しているが、それだけ研究開発がなされやすい分野なのだろうか。先進国に無い熱帯地域の難病は儲からないから結局研究開発もおざなりになるというのも理解出来なくはない。競争よりも人命を重視する場合には、こういった分野には政府やらNGOの介入が必要な訳である。
時は流れる。新たな年を迎え何を思うのか。猫も少し老いてあごの下に白い髭が生えている。人も老いる。徐々に成長を続けて緩やかに坂を下る。国の成長というのはどういうことなのだろうか。GDP成長率がその尺度として用いられることが多い。GDPの内訳というものも問題とされようが、日本は緩やかに坂を下りはじめたのだろうか、あるいは今は成長を抑えているだけなのだろうか。香港や中国広東省において年明けを迎えたことは、そういったことを考えるチャンスを与えてくれた。しかし結局自分の中での理解が足りないこともあり、そこから結果を予測するには不確実性が多すぎてしまい、それはギャンブルをしているのと同様の状態になりがちである。長期的に見れば単に波に従ったに過ぎず、単に運が良かっただけの多くの人間が勘違いしてしまうが、自分で人生を変えるということが出来る人間は殆どいないはずである。刹那を求めることへの危惧を多くの人が意識し始めているが、それは目先の利益を追い求め続けてきた人類の歴史を考えれば土台無理なことである。ヨーロッパ人が環境がどうだとか道徳的にどうだと言っても、結局のところ裏では根回しをしてきっちり自分の利益を確保しようとしていたりする訳であり、こういうものは無視するのが一番である。短期的なものを追い求めなくて済むような精神力を手にするのは、普通の人間には不可能であると思った方が良い。だから人知を超えた行動をするためには、臭いものに蓋をする感覚で宗教にすがるという選択肢はあながち間違っている訳ではないのである。
人間にとっては重要な出来事であっても、猫にとっては関係の無いことであったりする。淡々と日々を過ごすが、人間より少し早く老いる。細胞が分裂する回数は減り、新たな事を覚えるということは難しくなる。劇的な成長期である、幼少と18歳前後の時代は何でも見るだけで覚えることが出来るほどに脳が活性化しているのだろうが、そういう時代は二度とやって来ない。その代り繰り返すことによる蓄積というものがあり、これが効率化を図る。見えてきてしまうと詰らないものが沢山あるということにも気付く。言葉でも見た目でも着飾ろうとするのが人間の見栄というものであり、特に衰えを見せ始める頃にはこれが顕著になる。財務諸表における粉飾も結局はそういうことである。色々なものが確実に老いてはいる。呼吸をすれば体内に老廃物が蓄積することと同じように、国が富むことで色々なものが老廃物となる。必要以上に政府が金をつぎ込めば、何かがおかしくなるのは当たり前である。刹那を追い求めて蓄積した道路や高層ビルというものは、使い道が無くなった場合には減損するという感覚は会計士にだけあるのであって、政治家を含めて一般的な人間には無い。そういった無駄を作るということを経済成長と呼ぶのであれば、そういった指標を見ても仕方がない。ただ世界中で多くの無駄を多くの予算が達成している訳であり、そういう意味では相対的な比較としてはGDP成長率というのは意味があるのかも知れない。
日本という国は先進国の中でも綺麗な国なのだろうと思う。中国で過ごすと特にそう感じる。中国沿岸部はすでに経済的には先進国と呼ぶに値するのだろうが、多くの人民のモラルというものは、国際標準と比較するのは難しいレベルにあることを単なる旅行者である私も感じる。都市部の環境汚染もやはり酷い状況である。広東省は中国の成長の原動力であるが、晴れ間が見えることが殆どない。常に霧がかかったような状態で、単に天気が悪いのかと思っていたが、排気ガスや工場の出す化学系の噴煙というものが全体を覆っているのである。このような状況は、喘息患者にとっては有難いことではない。中国国内でも既にアレルギー患者は増加している。中国という国は今後の成長のためにはこういった歪みを徐々に修正していくことが必要である。経済は一方向に発展させることが難しいものであり、たまには過去を振り返り分岐点まで戻ることが必要なものである。
公害の問題は、日本にとっては過去の問題となりつつある。私の好きな東京の空も青空を取り戻した。中国もそういう時がきっと来るはずである。技術的にはそう遠くない未来であると言える。それは既に他のアジア諸国が経済成長の後で発生したそういった問題を克服してきたからである。そういったモデルを元にして学べば、そういった国々よりも中国は早く解決出来る可能性がある。金融危機というものの影響を避けて通ることはできないし、経済成長というものに陰りが出てくるはずである。そしてこのような環境問題を抱えていることが、海外の諸国からの圧力を受け大きなブレーキとなることも考えられる。個人的に感じるのは、それ以上に問題なのが中国人の特に貧しい層のモラルであると思う。十分に教育を受けた層は、金持ちで満たされているから、そういった面では問題が無い人も多いのではないか。しかしそうではない人々は、貧困のスパイラルの中で喘ぐ。他人のことなど気にしている余裕はない。そしてグローバリゼーションという目に見えない敵との競争が続く。中国製品の質の低さというのはそういったモラルの無さの表れである。と同時に日本国内の退廃を憂う必要がある。食品についての偽装事件などは、競争に敗れるべきゾンビ企業によるものであり、生き残るということだけを目的としていることからそこにモラルなどあるはずがない。この問題と中国でのモラルの無さというのは根本的には同じである。足るを知る、おもてなし、という高度な概念を除けば、彼等は単に未だ貧しいだけなのである。

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