2008年12月16日火曜日

猫の投稿28

他人を成長させるということが出来る段階に至るのに、どれほどの時間を費やさねばならないのだろうか。人間の歩む方向性というものは、いとも簡単に変化するものであり、それを左右する側の人間というのはそのような大きな変化に気付くことも無い。組織が動く場合には、全体としての価値の高いものを目指すことが必要であり、個々人の見解には意味が無いのである。そういった組織の運営方針というものが、面白いかどうかは別として、評価する側とされる側では感覚に随分な隔たりがあるのである。結局のところ、評価する側はこれまで評価されてきた人間であり、その評価も正しいということになる。これは単純ではあるが、なかなか正しいことなのだろう。つまり、そういった考えを早く身に着けるということは、ゴマすりとかそういうことではなく、組織で生きるための能力でもある。1人で吼えることにはあまり意味はない。全てを上回るような能力を持つ人間は限られている。何か特殊な能力があるのであれば話は別だが、通常自分は特殊であると考えるような人は殆んどの場合普通である。
普通が嫌なのかと言うと、やはり嫌なのだろう。しかし間違えてはならないことというものもあり、その蓄積というのは重要である。意思決定を誤り続けると、修正が難しくなってしまう。自分自身の問題はなかなか片付けることが難しい。客観的になっているような気がしてしまうからである。他人を管理するとなれば尚更である。余計なことをさせないというのも重要な管理であるが、余計なことをさせるさせない、という判断すら時間の無駄である場合もある。こういった場合まで管理能力の評価に含めることはあまり納得できない面もある。機械的に管理可能なものというのはやはり実務においては皆無に等しく、柔軟な退所能力というものを備えて応用していくことが出来なければ何も出来ていないことになる。会計監査も毎年前進する。昔の方が良かったという場合は無いだろうか。何かを深く掘り進める時には、深くなることへの効用というものは逓減していくはずである。今以上を求めるということの効用とは何か。それを考えることなく邁進するというのは、美しいのかも知れないが非生産的である。覚えることが増えることで、オペレーションの効率は落ちる。単純明快なことだけでは無いが、複雑にしてしまうのは人間だったりする。
人に説明するということは、何かを噛み砕き優しくしてから理解させるために伝えるということで良いのだろうか。細かい指示が必要な人間がいれば、ニュアンスで伝わる人間もいる。人間のパターンとは幾つかに分類されるのだろうが、それぞれに対処する能力というものを求めるのは、現代人には少し酷な面もある。画一的な情報を受けて、それに従って暮らしてきた現代人には多くの人間と同時に接することに慣れていないこともあるからである。人間同士が会話することで磨耗する。シンプルにすることは難しい。物事の本質をとらえなければならないからである。物事の本質を捉えるためには、訓練が必要である。この訓練は子供の頃から続いている人とそうでない人がいて、両者の間で得手不得手は分かれるはずである。そういったことに興味の無い人間に向かないことをやらせても、やはりうまく行かない。ただ、我が侭ばかりを聞いていても仕方が無い。このように考えると、トップに立つような人間からすれば、全体としての動きは把握する必要があるが、個々人の細かな関係性まで気にする必要がないことが分かる。
自覚するのに時間がかかる人も多い。結局のところ、向いてないから諦めるのか、出来ないから諦めるのか判断をつけにくい。能力の無さを向いていないとしてしまえば簡単だが、それも逃げているように感じる。そこに判断をつけるのは、個々人の価値観な訳であり、残る人からすればそれは向いていなかったというよりも、能力が無かったということなのかも知れない。自分に都合の良い解釈をしなければ、ストレスを抱えて精神が崩壊する。自己防衛の手段に過ぎないのである。これを人はご都合主義であると解釈するからうまく行かない。他人というものは、か弱き存在であり、常に自分自身を守ろうとしているのである。これを理解せずして、自己を理解して成長させるという道もない。自分自身を守っていくことが、昔よりも大変になったのかも知れない。当然戦争に比べれば、今の時代は幸せに過ぎるのだろうが、国が成長する過程で、インフレが良い方向に向いていた時代では目立たなかった痛みが、今では致命的なものとなり、再起不能な人間を続出させている。
歩道橋を屋根にしてダンボールを敷いて寝る人々も、何がきっかけだったかは知らないが、結局のところ自分自身と紙一重である気がする。精神的な支えがなければそのまま流されて、ダンボールに行き着く可能性もある。経済的な欲求を満たすことに時間がかかり、人間として哲学的な面で成長する時間というのは多くの人が老後に迎えるか、迎えないで死に逝く運命である。今以上何を求めるのかと言われた時に、即答できないのが今の日本の弱さの原因であり、果たして自分が何を求めるのかという問いに対して、ただ知りたいだけ、と答えかねない危惧がある。地球の歴史の中で、安定していたという時代はどれぐらいなのだろうか。人類の歴史だけを見て、今はああだこうだと語るのも無意味な気がする。歴史から学ぶべきであると良く言う話ではあるが、地球の歴史を学ぶとなれば途方も無い作業であり、つまり学ぶなという結論に至るということにすれば良いのだろうか。無能な経営者の元では付加価値というものは生まれない。有能な人は有能な経営者を担いでナンボだと考えるのが自然だからである。かと言ってその有能な経営者もいつまでも有能な訳でもないし、無能な経営者と段違いで有能な訳でもない。だから判断に困ってグーグルで検索したり、本屋に駆け込む人が多いのである。どこにも答えは書いていない。

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