
黄昏の雲に浮かぶ富士山。世界遺産登録される日がきっと来るであろう。日本人の心に影響を与えていることが評価されるはずである。
会計監査の必要性というものを理解する機会というものが、ファイナンスを敵視しがちな日本ではあまり無い。有価証券報告書というものの存在を知らない人が全人口の90%ぐらいだろうか。読み込んで業界比較をしたりすると、こんなに面白い読み物も無いように思うが、会計や業界知識なくして素人が読み解くのは難しいのも分かる。ではそういった人たちには何も関係無いのかというとそういう訳ではなく、企業が資金調達するに当たっては、投資や融資をする人たちは必ず財務諸表を見て評価するし、必要があればDue Diligenceを行ったりする。結局監査人の意見が出ないような会社は、極端な話上場廃止になって資金調達できない。そのまま財務諸表を使えば痛い目を見ると言われているのに投資をするようなチャレンジャーもなかなかいない。債権者にしてみても同じである。株式に投資するのか、融資して債権を持つのかということは、法的な形式は違うが、結局のところ企業が将来キャッシュフローを獲得する能力を評価することが重要であり、その評価の元となる資料の大きなものが財務諸表である。

その財務諸表に嘘が書いてあれば、監査人は意見を差し控えたり、不適正意見を表明したりする。適正であっても、手続が不十分だったりした場合には、限定項目を書いたりする。このために猛烈に地味な作業を延々と繰り返す季節労働者が監査人(Auditor)という職業である。多くの個人投資家にしてみれば、監査報告書が何なのかを理解できないはずである。専門用語の羅列は裁判に勝つための道具のように見える。会計士試験の際には訳も分からず暗記したような記憶があるが、重要なことが書いてあるのだと今は強く思う。監査というのは不思議な立場で、独立の第三者として企業の帳簿を見たりする訳であるが、結局のところコミュニケーションが最も重要であって、単に会計とか監査を知ってれば良いということでもない。会計士自体でも、監査が何の役に立つのかを知らない人も多い。これはマーケットというものを理解していないからである。会計士は不断の自己研鑽が求められている。経済を知り、その事象を会計に落とし込むのはそう簡単に出来ることではない。クライアントの協力無くして、監査は成り立たないし、そのためには常に学び続けなければならない。信用というものがそこには必要なのである。

プロフェッショナルとしての説得力というものは、OJTで学んでいく形になっている。例え監査法人であっても、素晴らしい人だけがいる訳ではないのは、世の中の多くの会社と同じである。必要な能力というものは、マニュアルには書いていない。そもそもマニュアルは出来ない人でも自動的に出来るようにするためのものであり、最低限の水準である。かといってマニュアルがあっても読まなかったり、それを無用の長物だとして切り捨てるような人もいる。何度読んでも新たな発見があるものであり、こういったことを理解出来ないのはやはり能力の欠如である。どこまで深く掘るべきかということを理解せずして、日々の業務に押しつぶされる状況を脱するのは不可能である。悩む時間を作るためには、諸所の作業を効率的にこなすことが出来なければならない。しかしボトルネックが生じることもある。ボトルネックを取り除くのは管理者の努めであるが、被害妄想的なボトルネックの人間の阻害行為により、いつまで経っても解消されないのがその性質である。

夜になると景色も変わる。地球が自転するからである。いつまでも太陽の光が出ている気分で暮らせば間違った意思決定を行うことになる。運転するときには車間距離を開けるべきだし、ブレーキを踏むタイミングを少し早くする必要もある。日々の繰り返しを何となく生きることは勿体無いことである。日々の繰り返しというのは、同一の環境における行動のサンプルを採取することが出来ることを意味し、これを大量に蓄積することで行動をパターン化することが出来るからである。電車の中でNintendo DSでドラクエをやるのは構わないのだろうが、他にも出来ることはある。私の場合は、CFAのでかい教科書を広げて、青のペンと黄色の蛍光マーカーをYシャツのポケットに突き刺してひたすら読む。何ページ読めたのかということを測定すれば、その日の体調や集中力というものが分かる。ただ多くの場合には居眠りに繋がる訳で、残念なことに居眠りしていた時間を正確に測定することは、当の本人には難しいという現実がある。CFAの教科書もある程度読み進んだが、復習は殆んど出来ていない。あまり長い時間あけると全て忘却の彼方へ押しやるのが人間の脳である。

CFAに合格したところで人生が変わる訳ではない。その過程で獲得されるであろうアナリシスの能力というのは、アニュアルレポートや有価証券報告書をより面白い読み物にしてくれる。会計を学ぶモチベーションにもなる。なかなか日々の業務の他にハードな勉強をすることは磨り減るが、今やらなければ二度とやらないし、やらないで良いと割り切れる性格ではないので仕方ない。試験に受かること自体は難しいことではない。しかし実際に実務において使えるようになることは難しいだろう。実務では100%以上を求められているのであり、試験のように70%とか80%で済むような話でもない。90%でも足りないのである。90%で満足していてはプロフェッショナルではないし、その90%にすら達しないのに被害妄想でパワーハラスメントを主張するなどという行為は、愚行と切り捨てよとDruckerも言うのである。切り捨てるという行為を厳然と行うことは難しい。人間の感情がつきまとうからである。しかし布石を幾つも打つような時間もない。その時には介錯人のセンスが問われるのである。
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