
今日は一年で一番日が短いわけで、3時に家を出て恵比寿に着くともうこんな黄昏である。シャンデリアの周りには沢山の人がいて、写真を撮っている。で、私はそういう人達を撮っている。ひとりひとりの人間はその人にとっては主体であり、こういった群集に囲まれていても自分が主役であると思うことが出来る。他人など気にならないのである。電車の中で他人が話している内容を聞いていると本当にどうしようもないことを話しているなと感じることもあるが、私の話すないようもそう思われていることだろう。世の中に対して重要なことを一個人が発信するということは殆んどないのである。一国の総理大臣だって、今影響を及ぼすことが出来るのは16%とか20%とかそういう数字である。マスコミが煽り過ぎなように思うが、それでも代わりを用意できないのが今の自民党であり民主党というところか。金利もまた下がった。やはり日本ってデフレなのか、と思う。それよりも大事だと政治家だけが信じることがあるのだろうか。放っておいてもそのうち円安になるように思うし、バブルは今の状況では発生しない。

昔経済学の教科書で読んだ流動性の罠というやつか。ついこの間も日本で発生していたこの流動性の罠というものは、民間の金利を犠牲にして、下手糞な銀行を救ったということである。当然名目金利の低さを嘆き短期的な投機に走りがちな個人投資家は、スワップポイントという日銭を稼ぐために外貨投資に走る。未だにデフレ状態にある日本という国は、既に他国よりも実質金利が高いという場合もあり、積極的に外貨投資もなされないのだろうか。マーケットに参入する勇気と体力を失った人も多いのかも知れない。結局現状では、金融政策は無意味で政府が莫大な金をつぎ込むしかないということになっている。アメリカでBig3を救うということは、日本人の税金で米国債を買い倒産すべき企業を救うということである。これは世界最大の外貨準備を米国債で保有する中国も当然に米国債を買うわけで、なぜか未だに日本が先進国中国にRemenuationとして払い続けるODAもその中に入っているのだろうかと思う。マネジメントの父ドラッカーの言うところに従えば、いかに無意味なことかが良く分かる。The Daily Druckerの最初から読んでいくと、1月5日のところに下記のようにある。

"5 January Abandonment" There is nothing as difficult and as expensive, but also nothing as futile as trying to keep a corpse from stinking. 上田先輩風に言えば、「死臭を防ぐことほど手間のかかる無意味なことはない」といったところである。アメリカ人は本の意味を理解するまで読める人があまりいないのかも知れない。一度廃棄してみれば、きっと立て直すために色々な知恵が絞られて筋肉質な状態に戻ることが出来る。アメリカの自動車産業が崩壊し、失業者が更に増加するのだろうが、そもそもそれ以上に苦しい多くの人が世界中にいるわけであって、Wall StreetやDetroitを救うことよりも、困窮する人たちがインフレに苦しめられるのではなくて、経済成長に組み込まれるような政策を考えるために、あるいは実行するために金を使った方が良い。自国の経済規模によって人生にチャンスを与えられないというのは、仕方ない部分もあるのだろう。競争というものがそういったものであり、底辺を拡大し続けることでしか、いつしか成長できなくなることは当たり前である。

資本の効率性を高めるためには、稼げる人に金を回すということであり、マイクロファイナンスのようなものが発展しない限り、貧困層に資本が回るということはない。猛烈なレバレッジをかけて資本を高速回転して来たWall Streetのビジネスは寿命を全うし、また別の場所を探して資本は彷徨う。マーケットに経済成長の全てを委ねるということは難しい。神の見えざる手というのは、神そのものがそうであるように、人間が生み出した概念でしかなく、結局のところ欲の渦に巻き込まれればフラットな状態というのは生まれて来ない。既に豊かな人はそれを阻止するために核を含めて様々な手段を使うし、様々な障壁を設置しようとする。一方で貧困者は金が無いから略奪するという手段を選び、テロや麻薬などでその地位の逆転を目指す。それだけが全てでないことは良く分かる。全員が豊かな訳ではないし、全員がテロリストな訳ではない。純粋に豊かな暮らしを目指して、必要以上の幸せを望まない人が沢山いる。しかしそういった人たちの意見というものが、反映されるような仕組みは今のところ無い。

オリーブの木が植えてある。実が結構なっていて、オリーブというとスペインとかイタリアとか、そういうイメージだが、恵比寿かぁ、という感想である。これがオリーブの木であるということに気付いている人もあまりいないのかも知れない。夏の暑さを考えれば東京は本当に暑いが、やはり冬にこの木を見るのは不思議である。私はグニャッという食感の食べ物が食べれないので、オリーブの塩漬けも好きでない。ドライマンゴーとか東南アジアの土産として人気だが、なぜあれが旨いのか未だに理解できない。モノを食べることでストレスを解消する人がいたり、あるいはそれがタバコであったりする。大麻の人も最近多いようである。私の場合は本を読んですっきりすることが、ストレスを解消する手段なのかも知れない。そんなことは有り得るのだろうか。教科書には書いていないことが沢山あるということは分かっているはずなのに、飯を食うのと同じ感覚で本を読むのは、それがストレスの解消に繋がるからなのか、あるいはマズローの欲求階層説のどこかに落ち着く話なのか。
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