
妻による家庭内オペレーション効率の改善。主婦の年収をその働きに応じて換算した場合、1200万円程度だと言う。実際にそれぐらいになるかも知れないとふと思う。家事等の効率は相当に改善されている。女性特有の気配りというものなのだろうか、例えばスーパーでの買い物1つとっても、毎日の繰り返しによる経験が蓄積し、無駄の少ないオペレーションを行うわけである。家事を取り巻く環境が、激変すると言うことがないということも、経験の蓄積をストックとして使うことが出来る理由でもあろう。スーパーが潰れるということも、それほど多くは無いだろうし、仮に潰れたりしても、近隣の他のスーパーに行ったときにノウハウを殆んどそのまま使うことが出来る訳である。女性にしか出来ないということもあるはずである。そのような特性を会社などの組織で生かすための施策は進むべき分野ではないかと感じる。もちろん色々な弊害はあるだろう。逆に無駄が増える分野があるかも知れない。しかし男性主導で多くの組織のオペレーションが動いているわけであり、これをもう少し柔軟にしても良い。

そもそも家事が女性にとって一番良い仕事なのだろうか。料理人の多くは男性である。体温に変動が少ないからだと言う。女性は普段の生活の中で体温の変動を伴うことで、味覚が変わってしまうことから、そういう点で男性の方が有利なのであると、奥さんからのまた聞きである。なるほど、そういうこともあるのかと思うのと同時に、料理と言えば女性という先入観があるという気付き。男性に対する先入観というものも、どこかに間違っている、あるいは改善すべきものがあるかも知れない。新たな気付きというものをもたらすには、そういった価値観を共有することも必要である。監査法人のように8割が男性のような組織では、やはり環境を整えることは難しい。話を聞いていると、ほうほう、と気付くようなことも多い訳で、むしろそれが自然であるとも思う。似たような人間が集まり、似たような話だけをしていて、何か面白いものが生まれるのかと言うと、そうでも無いかも知れない。深く何かを突き詰めるには、そういった環境の方が適している場合もあろうが、壁を乗り越えるために必要なアドバイスというものは、別の切り口であったりする。

JR秋葉原駅。ここ数年でガラス張りのビルが東京のあちこちに建った。山手線に乗っていると、田町と品川の間で、建設中のクレーンを良く見かけたが、それも今は無くなった。急激に何かを作り始めると、その反動も大きくなってしまう。固定費の大きい産業というのは、なかなか立ち直るのが難しく、結局貴重な資産である人員削減に踏み切るしかなくなる。派遣社員を数千人規模で切るとか、内定の取消しだとか、そういった話が目立つ。今後はもっとそういった頻度が高くなるだろう。国内の経済が衰退していくことで、中国などの国に頼らざるを得ない。年金生活者ばかりでは、経済が回転する速度は遅い。競争は激化し、賃金の低い人間は増えるだろう。日々の生活に困窮することで、生活支援を受けなければならない人間も増える。当然社会保険などでは対応し切れない。そもそも年金などは、もらいすぎの世代がいるわけで、国民皆保険とか年金制度というものは既に破綻している。結局こういった制度も経済の発展や、インフレ頼みの状態であったわけで、下手糞が運用していては期待された運用収益などあげることが出来るはずもなく、その殆んどを国債に投資する意味不明な厚生年金の運用がなされていたりする。

消費税の引き上げというのは、高齢者の負担を増やすことで、世代の格差を本当に少しだろうが緩和する。消費税が5%から10%になったところで、本当に困る世帯も確かにいるだろうが、全員を豊かにすることなど、そもそも資本主義の目指す所ではないのであり、納得せざるを得ない面もある。医療や教育には金がかかるだろうから、十分な財源を確保する必要があることも分かる。しかし負担すべき人が負担しなければ、不公平感は募る。選挙に行くのはもらう側の人たちだから、結局変わらないのも分かるが、高度経済成長を享受し、更にふんだんな企業年金までもらい、それ以上何を望むというのか。昭和通りの高架の下には、多くのダンボール族がいる。排気ガスにまみれながら、ダンボールと共に暮らす。どこの国にもいるし、彼らを救う手段など無いと思う。1人を救えば、結局全員が救いを求めてしまう。競争による緊張感というのは、それによりひとりひとりが自分の人生に責任を持つという点では、変わるものはない。フリーライダーを増やすような政策には意味が無い。神輿を担ぐときには、必ずラクをしている人間がいることを知るべきである。一部の人の肩に重荷が載ることで、あっという間に瓦解するポイントを迎えてしまうことだってある。

目の前に飢餓で倒れている人を救うなと言うことでもないが、しかしその人を救った時には、何故世界でその人以上に困窮している人を救わないのかということにならないか。人道的には助けることが当たり前であり、それを合理的に説明することは難しい。昔は上野の駅などで、金属製のお椀を地面に叩きつけ物を乞う人をもっと見かけたように思うが、経済成長とともに減ったということだろうか。だとすれば、今後はそういった人々が増加の一途を辿るということである。麻薬などの流行は、今だけの話ではなく、昔からであるが、今後は更に増えて行くことだろう。打たれ弱い多くの若者にとって、厳しすぎる現実から逃避するために、酒やタバコでは足りず、そういった薬物などに手を伸ばしていくのは、自然な流れである。他にも現実から逃避するために必要なものはきっと流行るだろう。ストレス解消のための道具だとか、ストレスによる病気に対処するための医薬品だとか、そういったものはあまり良くないのだろうがきっと儲かることになろう。マスコミもうまいこと国民を煽動して、いつの間にか殆んどの人を欝状態にあると思い込ませてしまう。恐怖に慄く国民は、現実から逃避するために、ドラッグを買うか、現実と向き合いつつもリスクを回避するために保険を買うか、ストレスを晴らすためにWINSで馬券を買うかのどれかの選択肢から選ぶことになる。保険は当てにならないことが分かった。馬券も当たらないということが分かった。結局選択肢など殆んど無いというのが現実である。必要なものを挙げるとすれば、やはりドラッグでも保険でも馬券でもなく、単なる逞しさである。
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