
天変地異でも起きたかのような表情をしているこのトム先輩は、私から見るといわゆる先住者である。奥さんの実家にて平和な暮らしをしていたところ、突然変な奴があわられて自分の縄張りに足を踏み入れていることになる。猫に愛着を感じるようになったのは、実家で猫が暮らすようになってからであり、獣医を目指すきっかけの1つだっただろう。我が母校(というと語弊があるが)をモチーフとした動物のお医者さんとか、そういうものは読んだことすらなく、どちらかと言えば動物とコミュニケーションをとることに憧れて、ドクタードリトルのようなものを読んでいた記憶がある。動物全般が好きなように思う。旅に出れば、旅先で見る動物の写真を良く撮る。彼等、彼女等は私がカメラを構えているかどうかということは気にしないので、大体ブレた写真を提供してくれることになる。何故獣医師を諦めたのかは色々な要素が積み重なっているので、はっきりと言うことが出来ない。これもこの歳になって結局のところ自分を理解出来ていないことの証明なのかも知れない。幸いにして優秀で且つバラエティに富んだ獣医師のお友達が沢山いるが、そういった人達を羨ましいと思うことが無い訳ではない。

彼らも日々苦悩し、色々な葛藤を乗り越える社会的な動物であり、根本的なところではこのトム先輩と変わるところはない、などと言うと失礼だろうか。不思議なもので、獣医とあまり関連性のない不思議な仕事をしている人も多い。獣医師とは一体何なのだろうか。大学を去り、獣医学というものを学ぶことが無かった私にとって、彼らの存在というものは貴重である。一方で全く違う世界に飛び込んでしまった私のような存在も彼らからして、貴重なものであれば良いと思う。色々な人がいれば何か出来るのではないか、と言ったような考えというよりは寧ろ、変な人が多い方が話は盛り上がるということである。今生チョコを食べているが、好きなせいもあって既に箱の半分以上を食べつくした。トム先輩は本能に従って生きる。腹が減れば腹が減ったと鳴き、遊んで欲しいときには遊んでくれと鳴く。こたつに入る時は、こたつ布団を人間共がめくるのを待つ訳である。

ブログタイトルの猫はこのトム先輩のことを意味している。彼にとって私という存在はきっと小さいものであろうが、そうであったとしても人間以上に人間のような表情をするこの猫を愛さずにはいられない訳である。人間と猫というのは太古の昔から共生してきた間柄であり、人間社会で男女が生活するのが自然なように、その社会に猫も共生していることは自然なのである。ペットと呼ばれる動物達は、無機質化した世の中で飼い主が溜め込んでいるストレスを和らげる存在になり得る。それぐらい深い関係にある飼い主とペットの関係というのは、傍から見るとなかなか気持ちが悪いものではある。「はい、XXXちゃぁ~ん、いいこでしゅね~」と言うようなのは少しアレだが、まあそれもまた良しということなのかも知れない。言葉を発しないし、現実逃避なのかも知れないが、彼らの支えあってこそ、精神的なダメージを切り替えて生きる術を持つ人も沢山いるわけである。

旅行用に買ったオリンパスの一眼レフを普段眠らせるのも勿体ないと思って(桑田が投げない日はショートを守るべきだという話と同じ)、日常生活にレンズを向けるようにし始めたが、トム先輩のように様々な表情をしてくれる被写体というのは有り難い存在である。カメラが趣味というには、勉強もしていないし、少しレベルが低すぎるが、既に撮影枚数は旅行だけで3~4000枚を超えるだろうし、猫だけでも500枚ぐらいは行く。日比谷公園にいつか訪れて、そこにいる猫たちを撮影したいと思いながらいつの間にか仕事が忙しくなり、そして冬が訪れ、チャンスを逃して春を待つ訳である。何気ない日の天気が良いことがある。そしてそういった日の空は東京であっても綺麗なものであり、何故カメラを持っていないのかと悔やむことになる。小さいデジカメでもコートのポケットに入れておけば良かったと後悔することがある。写真を撮ることでブログにアップロードし、こうやって下らないことを書き綴る。後で読み返すことも殆んどないし、そうしても有益な情報と言うものは無い。ただ世の中の殆んどのことがそうなのであって、自分だけ特別であろうということに限界がある。
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